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人をつくるのは人なのか。

2010年11月17日

人は、人との出会いよって大きく人生を変えることがある。

先日の漫画家・赤塚不二夫氏の葬儀にて、
森田一義(タモリ)氏の読んだ弔辞が、
にわかに話題になっている。

まだ無名だったタモリ氏が、
赤塚不二夫氏にその才能を認められ惚れ込まれ、
赤塚氏のマンションに居候しながらあらゆる支援を受けた事は有名な話。
その関係は肉親以上だったという。
そんなタモリ氏が本名森田一義として、
人生で初めての弔辞を読み上げた。
手にした紙を何度もみながら約8分もの弔辞を。。。
弔辞を読みながら、
どんな思い出や気持ちが駆け巡った事だろう。
俺もその姿を拝見したが、
淡々と読んでいたが弔辞の最後にお礼を言ったときの声は震えていた。
気持ちが溢れたのだろう。

弔辞を読む最中、
手に持って何度も見ていたあの紙は・・・実は白紙だったという話がある。
本当かどうかはわからないけど、
もし本当なら約八分の弔辞は全てアドリブだったと言う事になる。
自分を育ててくれた恩人に捧げた、話芸だったのかもしれない。
溢れる気持ちをそのままに、その場で言葉にまとめて捧げる。
すごい。やろうと思ってできる事じゃない。
タモリ氏も赤塚不二夫氏も、思っていた以上に凄い人だったと改めて思い知った。

『私もあなたの数多くの作品の一つです』

人は、人によって強く影響を受けると言う。
でも肉親以外で、
『私はあなたの作品だ』と言えるほどの人に出会っただろうか。
また、
そう言ってくれる程の影響を誰かに与える事のできる人間に、
俺はなれるだろうか。

赤塚不二夫氏、森田一義氏。
この二人の出会いは、数多くある奇跡の一つだったのかもしれない。
この二人をつなぐものはなんだったのだろう。
血(縁)でもなく、恋人達が語らう愛でもなく、青臭い友情でもなく、
言葉では語りつくせないもので繋がっていたのだろう。
ギャグによって動き動かされていた男に惚れ込み、
集まった人達もまた同じなのだろうか。



奇跡といえば、
漫画界の梁山泊・トキワ荘の存在も奇跡だったのではないだろうか。
漫画家を志すものが集まり、
漫画を描きたい一心で他の漫画家達と切磋琢磨しあった場所。
貧しかった。でも、それはみんな同じだった。
ときどき集まっては漫画や映画やバカ話やいろんな事について話し合った。
勉強した。遊んだ。
みんながみんな、漫画への情熱に溢れていた。
トキワ荘同窓会の映像を見た事がある。
漫画の神様・手塚治虫を囲んで、
キャベツだけの塩コショウ炒めとお酒で笑いあっている漫画家達。
聖地と呼ばれるにふさわしい場所。
トキワ荘とはなんだったのだろう?
ある漫画家は『学校』と言い、またある漫画家は『青春の全て』だと言った。
赤塚不二夫氏は『同じ釜の飯を食う兄弟』と言い表した。
人間には、
他の何ものをも省みず一心不乱に一つのものに全てを投じる時期がある。
それを青春と呼ぶのだろう。
そして、
人が人をつくると言うが、
トキワ荘に集った漫画家達はお互いがお互いを磨き作り上げたのだろう。
その中の一人が赤塚不二夫氏で、
赤塚氏もまた色々な人に影響を与えた。
森田一義氏は、
そんな赤塚不二夫氏の作品の一つというまでに大きな影響を受けたのだろう。





奇跡って、いろんな人との出会いによってつくられるものだ。  

Posted by ロマニスト at 11:42

すこぉし

2010年11月11日

外を歩いた。
さかさか歩いたら、運動不足が出てきた。
血行がよくなった足がかゆいこと。
恥ずかしい限りだ。
たまには歩かないとなぁ。
と、思った。

最近のこと。
私なりに前に進んだ。
一ヶ月、正確にはもう少し、考えた。
以前私がしたこと、そうするべきではなかったんだな、とか、こういうのはだめになる兆しだったのかな、とか。
良くないことが多いのは、まぁ、そういう性格だから仕方ない。

そういうのもひっくるめてもらえたら、進むのかな?と思った。
この一年、またちっと変わったのではないか、と思っている。
本人の自覚があるのだから、変わってないんだろうけど。

でも、環境がずいぶん変わったからなぁ。

こんなんだったかなぁ?と思う自分によく出会う。

とりあえず、無理はしていない。
みんなに言われるが、なんでかな?
風邪も引いていないし。

たまに、やべぇ、と思うこともあるけど。
そんなときはちゃんと休むし。

ともかく、前に進む。
かくありなん。  

Posted by ロマニスト at 16:10